苧の字つながり

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母につき合って、お隣は早島町の「いかしの舎」でランチをいただきました
「いかしの舎」は、「五十橿舎」と書いて、明治期の歌人で岡山市に在住した岡直廬(おかなおり)が命名したもので、「盛りに足りておごそか」という意味だそうです(いかしの舎HPより)
もともとは、問屋業を営んだ寺山家の住居で、明治時代に建てられたものを改修したそうです
立派な母屋の天井は高く、太い木を用いてどっしりと丈夫でありながら重苦しさを感じないのはデザインが優れているからでしょう
中庭はさっぱりと美しく、池のまわりにほどよくススキが茂り、風情がありました
中を見てはいないのですが、長屋門や蔵の2階なども素晴らしそうです
長屋門の中を見忘れたのは、その外にあった案内板に気を取られていたからでしょう
そこには、
寺山家の祖先が上道群寺山村から江戸時代に移住し、畳表の縦糸に栃木産の荒苧(あらそ)を始めて導入した
ということが書かれていました
早島や茶屋町は、い草の栽培がかつては盛んで、畳表やゴザの生産で繁栄した町です
荒苧ってなんだろう?
「苧」の字は苧麻(ちょま)=からむし)と同じ字を用いていると言うことは、麻の一種だろうか?
栃木というと会津に近く、会津には「からむし織り」があったなぁ
そう思い、ランチの雑談の際に店のお姉さんに訊ねたところ、わざわざ検索して結果を印刷してくださいました(ありがとうございました)
それを読むと、たしかに荒苧は麻のようです
絣の模様を染める際に、色がつかないように縛る紐が荒苧(粗苧、荒麻皮とも書き、あらそうとも読む)だそうです
荒麻皮の名の通り、麻を蒸篭で蒸し、表皮をはぎ取って乾燥させたものと文化庁のデータベースにその業が記録されています
栃木産の粗苧が上質とされ、おおくは福岡県八女郡で製造されたものが用いられていたが、いずれも生産は途絶え、昭和初期まで麻栽培が盛んであった大分県内でも、栽培・管理の手間にくらべ利益率が低いことなどから、生産者は減少の一途をたどり、現在では、日田郡大山町で矢幡左右見氏が栽培・管理してきた麻畑一ヶ所を残すのみとなっている(文化庁 2003.7.10)
おそらく今の畳表やゴザに荒苧が用いられていることはないでしょう
遠く離れた地とたった一人の縁で結びついたい草と麻
それがい草の織物に最適だったからこそ栃木からわざわざ運ばれてきたのだとすれば、
「利益率が低い」と言われた荒苧の活路であったのだろうと思います
「いかしの舎」は、豪邸とは言わないまでも、立派なお屋敷です
荒苧の交易で寺山家は繁盛したのだろうと、当時のにぎわいを想像しました

※写真は、「いかしの舎」の柊の下に芽を出したちいさなモミジの葉



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by hee3hee3 | 2014-10-24 23:36


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