わすれえぬ日
8月6日
未明に降り出した雨は、朝までには止み、里芋の葉にその名残を残していました
「水をください」
と言いながら亡くなった、たくさんの人を思う朝
岡山で生まれ、5年間広島に住んでいたこともあります
平和記念公園は、講義のコマが空いた時に時間をつぶす場所でした
同じように、お年寄りや子ども連れのお母さんなどが木陰で休んでいたものです
広島では、夏になるとテレビ局が深夜のローカル枠で戦争や原爆の番組をいつも流していました
広島に住んでいれば、原爆は身近なことなのだと、そのとき思いました
それからというもの、この日の朝8時15分には、広島のほうを向いて黙祷することを忘れないように心がけています
岡山でも、子どもの頃に反原爆のパレード(?)に、父と弟と一緒に参加して歩いていた記憶があります
覚えていることと言えば、とても暑かったことと、道筋にある商店のおばちゃんがアイスクリームをいつもくれていたことくらいですが
いま思えば、あのおばちゃんも反原爆に参加していたのですね
あれから30年
未だ原爆はなくならず、原発までもが平和を脅かす日々
人類は、どこへむかっているのか?
人を信じたいと思う一方、本当に危機に直面しなければ変れないのかと案じる朝
by hee3hee3
| 2014-08-06 21:56