味の記憶
焚き火小屋での食事は、ほとんどわたしが作っています
今朝、
「しかし、やっぱりこれは食文化圏の違いなのかね」
と、岡野さんがつぶやきました
わたしはここ(出雲)で普通に手に入る食材で、そのときあるものを使ってロケットストーブやかまどを使い、わりとベーシックな味付けで調理しています
それが、どこがとは言えないけど、岡野さんにとって違う文化を感じるというのです
面白い
そういえば、と思い出したことがありました
わたしが子供の頃、実家でよく焼き飯を作ってもらっていました
それは食堂やレストランで食べるものとちょっと違って、でも何が違うのか説明は出来なくて
でも好きで、自分でも時々思い出して作っていました
しかし、東京や秋田や福島などで作っていてもやはり何か違う味だと思っていました
それが、実家に帰ってそれを作ると「あ!」とびっくり
子供の頃食べていた(と記憶している)味になったのです
醤油が違う、という単純にして分かりやすい理由もあるでしょう
しかし、曖昧な記憶を頼りに、きっと材料などレシピ自体が変化しているはずです
実家だから出せる味、実家でしか出せない味、そんなのがあってもいいでしょう
いま、実家で母が作ってくれる食事は、昔食べたものとはかなり違うものが多くなっています
それはそうでしょう、20年もの時が流れているのですから
しかし、なんとなく「これよりもあっちが食べたい」と思う「これ」は、昔の味ではないものが多いと今気づきました
頭で「おふくろの味が食べたい」なんて思っているのではないのですが
子供の頃は嫌で食べられなかったりするのですが
不思議なものです
子供の頃、わたしは少食で偏食で、よく親や先生を困らせていました
わたし自身も困っていましたが(笑)
そんな中、給食で出たひじきの煮物がおいしかったと、何気なく母に言いました
ちょうどその頃、給食の献立表にレシピが載るようになっていて、そこにひじきの煮物のレシピがありました
母は家でそれを作ってくれ、わたしの好物となりました
ほかには、卯の花(おから)もそうだったように記憶しています
味の記憶と書きましたが、もう記憶の片隅にさえない祖母の味も入っているかもしれません
共働きの両親に代わり、幼稚園以前の昼の食事は祖母が作ってくれていたはずです
わたしの味覚の基本となっている味
もう祖母に習うことは出来ないけれど、それはわたしの体に染み付いていそうです
※料理の写真が見つからなかったので、倉敷の白壁と人力車
by hee3hee3
| 2013-10-17 09:26